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何に媚びることもなく。
誰を信用することもなく。
好きなように生きていたら、気がつけば孤立していた。
それも当たり前のことだと思うし、望むところだとも思う。
だが。
「エミル、どうしてあんなことしたの。」
何度目かの学校からの呼び出しの後の、母親の言葉。
わずらわしくて、聞こえないことにする。
独りでいる、そんな俺が気に入らないのか、周りはうざったく干渉してくる。一体俺に何を期待しているのか知らないが。
わからないしわかりたくもない。
「ねえ、エミル。」
幼い頃は絶対だった母親の言葉も、今はあまりに軽い。
身長を追い越したあたりからだろうか。母親がなんだか小さな存在に思えて。
その頃から、俺は僅かな寂寥感を抱きながら、色々なことを諦めた。
今では、母親といえど縛られたくはないと思うし、同時に何も期待しない。
「何か悩みがあるなら、言って?
あなた、もう16なのよ。喧嘩ばっかりしてないで、友達も作って、ちゃんと・・・」
「うるせーな。ほっとけよ。」
「エミルだって、優しいところあるんだもの。ねえ、友達とだって仲良くできるはずよ。」
「うるせぇっつってんだろ!」
その小さな小さな存在に、わだかまる苛立ちをぶつけて。
母親は怯えない代わりに、とても悲しい顔をした。
担任のリヒターの所為で、このところの俺の行動はほとんど母親に筒抜けだ。
二人して、どんなに躍起になったって、俺は変わるつもりなんかない。だから、全部、無駄なんだ。
俺に構わなければいいのに。
みんな。俺に関わらなければいいのに。
クラスメイトだって、そうだ。
大抵のクラスメイトは賢明なことに、俺のことは完全に避けている。
けれど、ほんの一握り。
何の意図か、わざわざ俺に接触してくるやつもいる。
何を考えているのか、わからない。
例えば。
「エミル、どうしたの?
酷い痣・・・」
この、クラスメイトの、マルタとか。
件の呼び出しの原因となった、殴り合いの痕を指摘する。放っておけばいいのに。
そしてそれを律儀に答える義理は、俺にはない。
「馴れ馴れしく呼ぶな。」
それだけで、会話を打ち切る。
教室内の空気が少し、冷えるのを感じたが、そんなことは知ったことじゃない。
俺には関係ない。
そうやって独りを振舞う。
「お前は、何がしたいんだ。」
そんな調子だから当然、学校からも目を付けられていて、リヒターも、溜息を頻繁に、しつこく説教を繰り返す。
この男、不遜な顔をして変に真面目で、俺を黙殺するということをしない。
「周りが皆敵だといわんばかりだな。そんなに喧嘩が楽しいか?」
「俺に構うな!」
不毛な会話、だ。
時々本当にうざくて、何度か苛立ち任せに殴ってやろうとしたこともある。
が、こいつ、隙がなくてすぐにかわしやがる。
・・・ああ、イライラ、する。
そんな日常がひっくり返ったのは、そんな日常の只中の、ある晩のことだった。
一本の電話。
何度か面倒でシカトしていたが、そのしつこさに仕方なく受話器を取った、その電話で、
両親の死を知らされた。
ジョークならくだらなすぎて笑いもしないが、それが現実でも、やっぱり笑えはしない。
病院に向かう途中の、真実味を欠いた、夢の中にいるような浮遊感から、
その遺体を見せられて現実に引きずり戻された時。
何かの、壊れる音がした。
何が壊れた音なのか、わからないけれど。
多分、俺の小さなプライドだとかそういうものが、必死に守ってきたものなんだと、思う。
独りぼっちになって。
何の変哲のないいつも通りの家の中に、大きな大きな見えない穴が開いていて。
手の届く場所にあったものが、遠い、遠い場所に行ってしまって。
寝転がっても、目を閉じても、外から内から、色んな物が入ってきて、眠りではない場所へ引きずられる。
(喧嘩はやめて、友達を作って。それから・・・)
耳の奥で蘇る母親の声は、多分後悔に似たものを揺さぶり起こす。
その度にどくん、どくん、と内側から、俺を責める音が。
(いやだ)
(俺に。何も望まないでくれよ・・・)
胸に迫る自責の衝動。言い訳で塗り固めないと、眠りへはたどり着けそうにない。
浅い眠りと浅い覚醒を繰り返し、色々慌しかったものが片付いて。
一度粉々になったものが、寄せ集められて凝り固まっている、そんなしこりを胸に、また学校へ。
数日休んだくらいで、そこは何も変わりはしないが、ドアを開いて姿を現した時、教室に、平穏を壊されたような、静かな波紋が広がったのを、感じた。
気がつかなかったことにして、いつも通りを振舞う。
何も言わないで、全てを素通りして、席に鞄を下ろす。
「エミル、おはよう。」
マルタの声、だ。
その相変わらずに、溜息の代わりに、息が詰まった。
視線を持ち上げると、その表情には、いつもより元気がない。
気を遣っているのか。
そんなこと、するくらいなら、初めから、俺に関わらなければいいのに。
息苦しさに、呼吸ができていないことを思い出し、口を開いて、空気を取り込む。と。
「おはよう。」
マルタの表情がきょとん、として。それから、綻ぶまでの間。それは、俺が状況を把握するためには不十分だった。
「うん、おはよう!」
にっこりと笑って、目に見えて上機嫌になるマルタを、俺は呆然と見る。教室内に、先程とは別質の波紋が広がったようだが、よくわからない。
「・・・どうしたの?」
まだ、まだ時間が足りなくて、硬直したまま、何も応えられない。
そこでチャイムが鳴って、またね、とマルタは席へ帰っていく。
・・・・・・・・・・。
はく、はくと口を開閉してみる。
今の、は、もしかして、俺が・・・言ったのか?
「エミルって、黒好きなの?」
「どうして?」
「だって、持ってるもの、黒が多いじゃない。筆箱とか、ペンとか。」
「言われてみれば・・・。
気に入ったものは黒いモノが多いかもしれないね。」
「じゃあ、やっぱり好きなんだよ!」
これは、俺とマルタの会話だ。
だが、それは外から見ればの話。
HRが終わって真っ先に俺のところへ来たマルタに、言葉を交わしあまつさえ笑みを向けたりする、それは、『俺』の意思では、ない。
視線が勝手にマルタに向かい、口が勝手に言葉を紡ぐ。
戸惑う俺を置いてけぼりに、『二人』が会話を交わしている。
「なんだか、エミルって、話してみると全然印象が違うね。」
「そう、かな。
・・・うん。色々、あって。シンキョーの変化とか、さ。」
「それって・・・、やっぱり、ご両親の・・・。」
「うん。それもある、かな。
・・・。
大好き、だったんだけど、な。」
「あ、ごめんねエミル・・・。
私、辛いこと・・・・。」
「気にしないで。マルタ。」
これは、なんだ。
一体誰だ。
何を考えているか知れない、得体の知れない人間を気遣い、惜しげもなく思いを吐露する。
甘い声音で笑いあう。
他でもない、『この』心を晒す。
何故。
何の為に。
朝、目が覚めて。
億劫で、もう、学校なんて休んでしまおうと布団に、より深く潜る。
どうせ、面白くもなんともない場所だ。
少なくとも、定められた時間の通りに行く必要なんてない。
そう思うのに、定時には体はベッドを降り、朝食を作り始める。
学校に着いて。
挨拶を返し、些細なことを話して聞いて、授業にも全て出席する。
話をすることが増えた。
マルタだけじゃなく、その友達とも。
以前は絶対に行かなかった補習授業で知り合ったロイドや、その友達も。
そうしていると、他のクラスメイトの雰囲気も少しずつ変わって、まず、目が合って露骨に逸らされるということがなくなった。
マルタはそれを嬉しい変化だといい、それに照れ笑いして見せたのが、俺の反応だった。
「エミルってさー。
本当はできるんじゃねーの。」
「そんなことないと思うよ。
ほら。」
補習ルームで、ロイドに見せるのは小テストの答案。そこには決して謙遜ではない無残な結果があるのだが。
「でも、ここんとこのぐにゃぐにゃの問題解いてるじゃんか。」
「シグマのこと?
うん。ここはまぁ、覚えたかな。」
未だに底辺を這ってはいるが、授業をきちんと聞いているからか、少しずつ成績も上がりつつある。
元が酷すぎたのもあるけれど。
「エミル、補習終わった?」
補習授業のあと、マルタが顔を出すのも通例となっている。
「よー、マルター。」
手を上げて挨拶するロイドに、マルタも真似をして返す。
「ロイドはこれから部活?」
「あぁ。エミルは部活やらないのか?」
「うーん、今からって、ちょっと遅くないかな?」
「そうか?
そりゃ、大会目指すんなら遅いかもしんねーけど…。そうじゃなかったらいいと思うぜ。楽しいし。」
「そっか。うん。考えとくよ。」
「気が向いたら、見学に来てもいいぜ。
それじゃ、またな!」
「ばいばい。」
よく話し、よく笑って、簡単に相手に同調する。
ぴりぴりして尖っていた俺の周りの空気は、いつの間にかまろやかで穏やかなものに変わっていた。
何がそうさせたのか。
俺の意思に関係なく、けれど紛れもなく俺自身のことを、この口は語る。
何の意思で?
けれど、この全く思い通りにならない自分を、好きにさせておけば大抵のことはうまくいく。
神経を掻き乱すトラブルも、無駄ないさかいも。
妙な焦燥も、衝動と言っていい苛立ちと。
そんなものが、気がつけばなくなっている。
ただ、俺は。
そこに、自分が駄目だった理由を見い出して。
触れ合う度に笑い合う度に。(自分の意思と関係なく。)
穏やかな空気に包まれる度に、何かが、痛いくらいに冷えていく。
安心しきった顔で、傍にいる『友達』。
俺は、そんなに上手に笑えているんだろうか。
既に、俺は。誰かが傍にいる限り、好き勝手する『俺』の傍観者、という存在でしかなかった。
ただ、木曜日の放課後だけは、俺の時間だった。
部活だったり、塾があったりで、その時だけは、俺の周りに誰も居なくなる。
誰も居ない時だけは、俺が勝手なことを喋ったり、勝手なことをすることもない。
時間がきて、勝手に家に帰り始めるまでの間だけ。
俺が、独りきりで居る時間だけが。
(家に帰れば、卒業まで俺の面倒を見てくれるらしいおじさんとおばさんがいる。
その時の俺は、学校に居るとき以上に神経質だ。)
廊下から放課後のグラウンドを見下ろすと、部活中の生徒があちらこちらで、走り込んだり、あるいは基礎練習をしたりしている。
憧れたりはしないが、あれも確かに、選択肢のひとつだったのだ。今でこそ、何もしないで時間を持て余しているけれど。
「・・・やっぱりめんどくせーな…」
思い通りになる声に、密やかに安堵しながら。
確実に落ちる夕日に、憂鬱が募る。
(友達、か…)
友達だって、思ってた。
でもそれは俺だけで、向こうはそうじゃなかったらしい。
『それは、おかしいよ。エミル。
絶対、ヘン。』
『君って、そーゆーひとだったんだ…』
全部わかってくれとは、思わない。価値観の違いだってある。
なのに、何故。
気に入らないなら仕方ない。俺とお前の問題だから。
そうだろ?
・・・そうじゃ、ない、のか?
たくさんの嘲笑。
たくさんの悪意。
戸惑っているうちに、それらはどんどん膨れ上がって。
信じていたものはその姿を変えて、俺から全部奪っていく。
俺から、何もなくなっていく。大好きだったものだけが。
たくさんの悪意。痛みと辛さと悲しみと、理不尽。
たくさんの嘲笑。惨めで、悔しくて、狂いそうなほど、憎い。
『ふざけんなてめぇら!いい加減にしろ!!』
ねじ伏せたら、悪意も雑音も、消えたから。
そうして得た冷たい静寂に、自分の居場所を感じたから。
そうやって確立した自分が、受け入れられなくても、あんなに歪な場所なら、構わない。
暗くて痛い、あんな場所なら。
どうせ、他人なんて、信じるだけ、無駄だ。
久しぶりにそんな古い夢を見た。最悪な目覚め、だ。
夢を噛み締めて現実を噛み締めて、不意に思い出す。
また、朝が来た。そのことを。
(行きたくない)
閉じこもってベッドの中で粘っても、ギリギリの時間には起き出して、言いつけの通り、自分の朝御飯を作って食べ、また登校する。抗いようもなく。
(行きたくない…)
時計の針を恨めしく睨みながら、何かに傷つけられるのを、恐れて。
一秒毎に刻む音に、怯える。
「おはよー、エミル!」
「マルタ、おはよう。」
まるで疑心暗鬼に。
相変わらずな自分を好きにさせたまま、そこに、かつて感じた、気づくのが遅すぎたトゲを探す。
「よー!エミル!」
「ロイドも、おはよう。」
手遅れになる前に。
それに気づいたなら、もしかしたら、俺ももう二度と、勝手なことをしなくなる、かもしれない。
そうなったら笑ってやろう。
ほら、やっぱり、何をしても無駄なんだって。
「…エミル、どうしたの?」
「…え?」
マルタの声に、視線を上げる。
その時気づいた。自分が俯いていたことに。
「あ…。ごめん。ちょっと考え事。」
「…何か、あったの?」
「ううん。なんでもないよ。」
「…そう?」
こんな嘘に騙されるなんて
「最近のエミル、ヘンだよな。」
「…ヘン?」
「なんか、顔色悪いよ。」
「…。」
ロイドの指摘に、黙り込む俺。
そうは言っても、最近睡眠不足気味なことくらいしか、心当たりがない。
そんな小さなことを、いつもならへらへらと口にするはずの俺が、何故か何も言わず沈黙を保つ。
「それにほら、すぐそうやって考え込むだろ。」
「…。」
何も言わないなら、俺に主導権を戻せばいいものを、何のために沈黙しているのか。
「ヘン、かな。
ごめん。」
・・・・・・・。
「謝ることじゃないだろ。
そうじゃなくてさ。何かあったんなら相談にのるぜ?」
「…。
ありがとう。
でも大丈夫だよ。何もないから。」
何かがぎこちない。
俺はその日、ようやくそのことに気がついたが、マルタやロイドはそうじゃなかったらしい。
だが、そんな指摘があったのは、その日だけだった。
ひとづてに、まだ交流も増えていって、クラスメイトとも、目が合えば挨拶を交わす。
どこまでも、優しい。そんな雰囲気に、包まれている。
俺だけじゃなくて、ひっくるめてその周りも。
けれど、俺は何もしていない。
ただ、見ているだけで。
笑いながら交わすくだらない会話も、俺にはなんの意味もない。
うなずくのも応えるのも、それは『俺』ではないから。
聞くだけしか、本当にそれだけしかできないから。
みんな、どうしてそんなに笑えるんだろう。
その奥には、本当に何もないのか?
悪意だとか嘲笑だとか、偽善だとか。
誰もが持っていて、その牙を忍ばせている。
ずっとそう思っていたのに。
…もし、そんな仄暗いものが、何もないのだとしたら、
俺のそれまでは、一体、なんだったんだろう。
俺の選んできたものに、何の意味があったんだろう。
何の為に、俺は
木曜日の放課後は、俺の時間だった。
疲れることも怯えることも、虚無感もない、唯一の時間。
俺の意思で呼吸でき、口を閉ざしていられる時間。
独りだけど、だからこそ守れるものがある。
不可侵であるべき、時間。
広い学校で一人きり。そんな錯覚で、俺は唯一、自我を保つ。
誰も、くるな。
時間さえ。
寂しさなんて感じてない。そんなことより、俺が俺であるという、その事の方が重要だ。
こんなことでしか保てない。
だから、頼むから、
誰も
「エミル。」
・・・・・・・・・・・・。
「リヒター先生?」
随分と聞きなれた声に脊髄反射。
ひどい落胆と裏腹に、名前を返す甘ったるい声色。
こいつと個人的に向かい合うのは、久しぶりだ。
問題を起こさなくなってから、うざくてたまらなかったこいつは、ただの『みんなの担任』になっていた。
わからないのは、こいつがここにいる理由だ。
問題は起こしていないし、補習もちゃんと受けているし、帰れと促される時間でもない。
わざわざ呼び止められなければならない理由が。
「この日は、いつもここに居るな。」
「…。見てたんですか?」
「グラウンドから丸見えだ。
それとも、隠れたつもりだったか?」
ここから、グラウンドがよく見える。
なら逆もあるのだろう。
「いえ、そんなことはないですけど…」
リヒターは俺の隣へ移動してきた。
正直、早く帰って欲しかったが。
そもそも、何のつもりなのか、わからない。
「エミル。」
「なんですか。」
「無理、してないか。」
まっすぐに貫かれて、痛んだ。
それを何処と呼べばいいのか、知らないけれど。
「なんですか。無理って。」
それでも笑顔を繕う俺。(そんなことに何の意味がある?)
リヒターは、俺は笑っているというのに痛ましい顔をして。(俺だって、笑えない。)
認めたくなんかないが、俺がこんな状態になって、リヒターはもっと喜ぶはずじゃないのか。面倒のタネがひとつ消えたんだから。
それなのに、どうして
「・・・俺には、そう見えたんだが。
特に、こういう時のお前は。」
「考え事、してたんです。
僕だって悩みくらいありますから。
誰だってそうじゃないですか。」
「だろうな。」
「だったら」
「お前は、それを誰かに話せるのか?」
「…?」
「今にも泣きそうな、ひどい顔をしていた。
そんな『悩み』を、一人で抱え込んではないか?」
「…。
嘘だ。そんな顔、してないです。」
「…。
エミル。お前が、そうすると決めたんなら、俺達はそれをやめろとは言えないが。
それでも、抱え込むのだけは、やめろ。
俺じゃなくてもいい。ロイドやマルタでもいいから、辛いなら、相談してくれ。
そうでないと、長くは持たないぞ。」
「…。」
リヒターの声音が、意外なくらいに優しくて。
色んな感情が錯綜して、瞼が熱い。
何て言えばいいのかわからない。どうせ何も言えやしないけれど。
なあ、俺は肯定されているのか否定されているのか、どっちだ。
計ることができない。
裏腹に、リヒターと話している方の俺は、俺の感情なんか無いものにして、むしろ塗り潰そうというくらいに頑なで。
たくさんある言いたいこと全部を押し殺し、愛想笑いを浮かべる。
リヒターの懸念を、否定する。
「僕、そんなに弱くないですよ。」
・・・嘘、ばっかりだ。
その日は、それからすぐに帰った。
そして、それからも。
木曜日の放課後は、さっさと帰ることにしたようだ。
それから、幾ら経ったか。
時間の感覚がない。
「エミル、ちょっとツラ貸せ。」
学校行事の都合で補習授業のない放課後。
見覚えのある顔に呼び出された。
クラスの準備で暇ではなかったけれど、仕方なくマルタに断りを入れて抜け出す。
「何か、用?」
「何か用、じゃねぇだろ!
イイコぶりやがって!」
「…。」
ちらほらと見覚えのある顔に取り囲まれる。
かつて最も馴染んでいた敵意というものに。
予想はついていた。
昔、世話になったヤツらだ。もちろん、不穏当な意味で。
雑魚過ぎて印象に残らず、思い出すのにしばらく時間がかかったが。
その意図も浅はかな目的もわかっていたけれど、
あいにく、今の俺はイイコちゃんのようだから。
「そういうの、僕はやらないよ。」
あぁ、そう言うと思った。
けれど、何と言ったところで、全部無駄なことも。わかっていた。
だったら最初から無視しておけばよかった、のになぁ・・・。
呼び出しに応じたのはどっちの意思だったか、俺にはもうわからない。
かつて俺が居た場所。
もしかしたらそこに何かあるかもしれない、なんて。浅はかなのは俺も同じ。
それは、結局希望的観測でしかなかった。
やっぱりわかる気がするんだ。
ダメだった理由が。
独りで居た俺が。
つまり、ようするに、意味なんてない。
以前俺が信じたものだとか、俺が選んだものだとか、やってきたこと、存在そのもの。
意味なんてなかった。
やり直しなんて、きかないのに。
抵抗なんかしない。逃げ道を探すだけの俺を、罵倒し嘲笑って痛め付ける、その姿に、重なった何か。
かつての嘲笑の意味が解かる。
確かに、要らない。そんな存在。
黒く塗りつぶされていく。
塗りつぶしてやる。
もっと早くに、気付けばよかった。
拳を振らないのは何のためだ。
歯を食いしばって、早く終わらせる算段を巡らせている、それは誰のせいだ。
傷が増える度に募る気持ち。
あいつらは、こんな俺を、なんて思うだろう。
気がついたら、保健室のベッドの上だった。
一方的な喧嘩(リンチとも言う)で自失した、なんてザマを晒したわけじゃなく、ここまで辿り着いたのはあくまで自力で。
その後で一眠りしただけの話だ。それがまるで気を失うようだったとしても。
「エミル…!」
それからすぐに、今にも泣きそうな顔をしたマルタがこちらを見下ろしているのを、見る。
「…どうして?」
「リヒター先生が…」
「エミル、起きたんだな」
「ロイド。」
掲示板のポスターを眺めていたロイドが、その向こうからやってきて、パイプイスの傍らに立つ。
「エミル、病院行って診てもらった方がいいよ。
すごく、痛そう…」
「大丈夫だよ、マルタ。
この程度の怪我…」
「この程度って!」
「慣れてるんだ。だから、平気。」
「でも…」
「前はこんなこと、よくあったから。」
「エミル…。」
マルタの表情に、違和感だ。
おかしい、な。俺は笑ってるのに、何故か笑わないことが多い。最近。
前はそんなこと、なかった、よな。
「エミルの用事って、こういうことだったんだね。
知ってたら、私、絶対止めたのに。」
「…。」
「…なあ、エミル。」
「なに。」
「違ってたら、ごめんな。
お前さ、実は俺達のこと、信用してないよな。」
「…。」
違ってたらごめん、なんて言うわりに、ロイドの言葉は確信している風だ。
「わかるんだぜ。
お前とは色んな話したけどさ。お前、ちゃんとお前自身のことは話そうとしないだろ。」
「…そうかな。
なんのことかよく分からないけど。」
「…信用するとかしないとか、そりゃあ、お前次第で、俺達がどうこうする話じゃないかもしんねーけど。
でもさ。俺は、エミルのこと、友達だって思ってるから。
…そうやっていっぱい隠されたら…。なんていうか、寂しいよ。」
「寂しい…。」
強迫のような罪悪感に包まれる。
けれどそれよりも諦観が勝る。
「信用してないわけじゃないんだ。けど、僕のことなんて、聞いても面白くなんてないよ。」
「面白いって、なんなんだよ?」
「…わからないけど。
喧嘩が強いことくらいしか能がなくて、自己中で、他人は疑うものだって思ってる。僕にはそんな過去しかないから。
最近、思うんだ。
もし僕があのままだったら、ロイドともマルタとも、友達になんてなれなかったよね。」
『俺』ではない、ニセモノが作り上げたものは、結局、それなくしては瓦解するしかないのだと思う。
ニセモノが作り上げたものには、それなくして、縋ることなんてできないのだと、思う。
「そうかもしれないな。」
そのあっさりとした返答に
一瞬、黒く意識が遠退いた。
「でも、俺達はもう友達だろ。そうなってんだろ。
俺はさ。そんな話でも聞きたいよ。
だって、それだってエミルだろ?」
「…ぼ、く?」
「知ってるよ。お前さ、さっき自分で言ってたみたいに、なんかムズカシイヤツだったんだろ。今はさ。全然そんな感じないけど。
知ってるからさ。そーゆー話されても驚きはしないさ。だから、遠慮とかいらないんだぜ。」
「え…んりょ、なんて、そんなの…僕は、ただ」
「ただ?」
塗り潰されかけた意識が戻ってきて、
みしみしと、何かに亀裂が入る、悲鳴が聞こえる。
外側から。
俺はただ、楽に呼吸ができることを感じている。
「要らないんだよ、ね?」
「なにがだ?」
「昔の僕なんて」
「…そんなこと、言ってないだろ。」
「変わらなきゃいけないんでしょう」
「…お前さ、何か思い違いしてないか。」
「…?」
「変わるって、そういうことじゃない。昔のことを全否定するってことじゃないと思うぜ。」
「…?」
「要らないなんて、言うなよ。
…なあ、エミル。」
ロイドの言っていることが、うまく飲み込めない。
胸のあたりが、ズキズキする。
それは、今日負った痛みのどれよりも深くて。
それでも、辛いものじゃない。
今、どんな顔をしているんだろう。瞼が熱くて、視界が滲んでいることしか、わからない。
「変わりたかったんだよな、エミル。」
声音も表情も空気も、なにもかも優しい。
「すごいと思うよ。実際、すごく印象変わったし。
でも、それが辛いことも、あったんだろ。そういう時はさ。もっと、俺達を頼っても、いいんだぜ。
だって、友達だろ、俺達。」
「・・・。
辛いことなんて、なか」
何かを必死に守ろうとして、
声が濁らないように、気を配りながら、口を開くけれど
頬の上に何か熱いものが転がり落ちるのを感じて、ベッドの布団に顔をうずめる。
おかしいな。
こんなはずじゃなかったのに。
誰かが、俺の頭に優しく触れる。
誰、だ。どんな気持ちで。
「・・・俺、」
いろんなこと。
たくさんのことを言わなければならない気がしたのに、のどが震えて、上手く言葉が出ない。
そんな俺を、待っている。待ってくれている。
「後悔、して・・・・。
でも、わから、なくて・・・。」
「・・・うん。」
「けど、やっぱり、頼るのも信じるのも、嫌だった、から」
「・・・うん。」
「嘘、吐いたんだ。自分に。」
「・・・うん。」
「真面目で、お人好しで、簡単に笑える、そんなヤツ、だったら、俺は後悔、しなかったんじゃ、ないかって、思って」
「・・・うん。」
「皆に、嘘吐いたんだ・・・。」
「・・・うん。」
「多分、それ、本当だった。」
「・・・。」
「初めからそうだったらよかったのに、もう全部手遅れだ。
意味なんてなかった。それまでの俺に、意味なんてなかった。
でもそんなこと、信じたくなかったのに」
「・・・。」
「嘘が肯定される度に、俺が否定されていくんだ。当たり前だけど。
だって俺には何もない。優しくないし、取り得なんて喧嘩ぐらいしかなくて、みんな疑うことしかできない。
そんな、俺が、肯定されるわけ、ない。」
「・・・。」
「本当は、認めて欲しかった、のは、そっちじゃない、のに
けど、嘘だけど、失くしたくなかったから、それ、続けるしか、なくて
そしたら、自分が、わからなく」
「・・・・うん。」
「・・・・・
・・・っ。」
笑う気配がした。
嘲りの色は無くて、
ただ包まれるような。
俺は、ただ、震えて
泣いている。
「あのね、エミル。
そーいうの、嘘って言わないんだよ。」
「・・・?」
「そういうトコも、ちゃんとエミルなんだと思うよ。
それでも辛かったのは、いっぱい我慢しすぎたからだよ。
イイコでいようって、頑張りすぎたからだよ。
だからね、力抜いても、いいんだよ。私達の前だけでも、いいから。」
「・・・・・・・・・・・。」
「ね?」
俺は、俺で居たかった。
誰からも理解されなくてもいいから、俺は、自分の望むように在りたいと思っていた。
けど、それじゃダメだってことを知って。
何故なら、そう在る限り、俺は独りだからだ。
父親も母親も居なくなって、本当の独りで居るしか、なくなったからだ。
やり方を変えたら、まるで、自分が自分でないみたいに見えて。
何をしても、何を言ってもまるで他人事のよう。
・・・いや、そんな自分を拒絶する自分が居て、受け入れられなくて、本当に他人事だと思い込んでいた。
そして、「変わった」自分が過ごす時間が、それまでじゃ考えられなかったくらいに、穏やかで。
それと同時に、「過去」の自分がどんな風だったのか、痛感して。
でもその「過去」を割り切ることができなかった俺は、そのことで、自分の深い部分を否定されているように、感じた。
優しさに触れるたびに、受け入れられていると感じるのに、逆にその度拒絶されているとも感じている。
むしろ、負の感情の方が強くなっていく。受け入れられている方の自分は、俺のうわべでしかなかったからだ。
より、深い部分。本音だとか、そんな深層を晒せば、また拒絶されるんじゃないかと、思って。
自分に課した枷が、重く。
こんな俺でも、お前達は
「大丈夫だよ。エミルを、信じてるよ。
だから、エミルも私達を、信じてよ。」
誰も信じないって、思っていたのに、いつからかこいつらを、信じたいって思っていたのも確か。
裏切られることへの怯え無しで、それができたら、どんなに。
どんなに、良かったか。
だけどそれができるはずもない。
俺達は、ちゃんと向き合っていなかった。
俺は、嘘ばっかり吐いて。
逃げ道ばっかり、作って。
震えているだけの俺の頭を、優しい手が、撫でる。
「・・・ぁ・・・・・が、と・・・・・ぅ」
それだけで精一杯な俺に、合わせてくれる。
結局のところ、俺が欲しかったのは、かつて持っていたものだったのだ。
失って、駄々をこねて。
それから正気に返っただけの話なのだ。
奪われたときの、そのリフレインに苛まれながらも。
俺が怯えていたものは、かつて失っていたものだった。
俺はやはり俺だった。
嘘は、嘘じゃなかった。
理想というものに制御されて、その実態は空虚であったけれど。
独りで居るつもりで、色んな視線に見守られていたことに気付いたのはしばらく後。
一人の時も、二人の時も、三人の時も。それ以上も。
色んな感情があるけれど、でも、あの頃のような、身を切るような絞られるような、どうしようもない息苦しさは、もう無い。
皆にはちょっといい顔をして、友達にはちょっとだけ、打ち明けて、そんな当たり前のことで日々を送る。
当たり前のこと。
でもそんな定義を俺は知らないから、知らなかったから、ただあるがままにあるだけだ。
自分の望むまま。誰に強要されたわけでもなく。
END
戻る
・ひとりごと・
はい。学パロでした。
精神科に行ったら何かの診断下されそうなエミル(赤)のお話。こういうメンタルなお話は好きです。
これ、ワード30P弱の分量です。分割した方が読みやすかったりしますか・・・?
以下に設定を書いておきます。必要ない方は以下気にしないでください。
エミルたちは高校2年生。季節は秋くらいのお話。(ロイドの年齢は、誕生日の早さ的なアレで、決してダブってはおりませんっ(汗))
エミルとマルタの担任はリヒターで、その隣、ロイドのクラスの担任は多分リフィル先生。
エミルを引き取った?おじさんとおばさんは例の夫婦です。
以下もうちょっと濃い内容。もうお腹いっぱいな方は以下存在しないことにしてください。
一応反転仕様で書きます。Ctrl-Aしてね。
エミルがグレたのは、中学時代のイジメが原因。取り敢えず、友達だと思っていたヒトに裏切られた。のは確かなんだけど、その思惑とか、理由とかはよくわかっていない。
中学時代のエミルはもっとおっとりしていて(緑エミル寄りだった)、でも当時からこっそりと喧嘩が強かったので、実力行使でイジメ問題は解決。ただしその所為で人間不信に。そのまま卒業。高校に入学した。
両親の死後、本音と態度に食い違いが起こったのは、平たく言えば、自己暗示。自演とも言う。
真面目に生きないと!という気持ちと、冗談じゃない!という気持ちが葛藤して、無意識に譲歩した結果がアレ。
もう一度裏切られた時の保険も兼ねてる。ある種の自己防衛手段という感じ。
こんな感じです。
エミルについてばっかり書いて、他の人にあんまりスポット当てられなかったのが心残りです・・・。
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