ポートシェルフ生態学研究所の朝は早い。
むしろ夜というものがない。そこで行われている研究は文字通りイキモノを扱っており、この研究室にも様々な生き物がいる。夜行性昼行性含めて。
昼夜、それらの世話をしたりデータを取ったりで、所員はいつも大忙しなのだ。
研究本位の生活リズムではあるが、取り敢えず鶏が鬨を告げ、目覚めたウサギががさごそとうるさくなってくる頃、研究室に泊まりこんでいた彼らは朝ごはんを食べる。
研究主体の生活なので、それ以外のことにあまり時間は費やせない。料理は非常に簡素なものである。
「誰か、所長呼んできて。もうすぐ出来る。」
一度にたくさん作った野菜炒めを各小皿に盛りながら、所員の一人が呼びかけると、筆圧でくたびれた利き腕を指圧しながら他の一人が腰を上げた。

所長の名はエデンという。誰よりも忙しい人で、昨日もどこからか捕まえてきたキメラを分析するため、部屋に篭ってしまって今朝までそのままなはずだ。ちゃんと夜食は取ったのだろうか。
「所長、朝ごはんが―」
所長室の扉をノックして告げようとしたそのとき、内側からがしゃん、と激しい音がした。
「待って!今あけないで!」
続いて中から厳しい声。若干焦っているようだ。
ふう、と一息ついて、しばし待つ。珍しいことじゃない。
「おーけい、いいよ。ちょっと手伝って。」
許可が下りたのでノブに手をかけた。
「失礼します。」
扉を開けると、白い毛並みの仔キメラを取り押さえる所長の姿があった。
「どうしました?」
「うーんと、タグつけようとしたら暴れちゃって。ちょっと油断してたよ。」
ははは、と笑うエデンは、おそらく完徹したにもかかわらず、非常に生き生きとしている。
この人は、そういう人だ。
「怪我は?」
「ちょっと引っかかれただけ。ほら。押さえてる間に、そこにあるタグつけてやって。」
エデンのその白く細い腕に走った朱線を見て、もう一度自分に言い聞かす。
この人は、そういう人だ。
この仕事は、怪我を恐れるようでは半人前だ。仕事に心血を注ぎ、生涯を捧げるこの人がそれに頓着しないのはある種当然と言える。
けれども、その周りにいる人間は、こういうときなんともいえない気持ちになるのだった。
口出ししてどうなるわけでもない話なので、せめてこのキメラが何かやばいモノのキャリアでないことを祈るのみだ。(まあエデンの場合、佳人薄命という言葉とはまるで無縁な雰囲気であることは経験上よく知っているが)
実のない考えは頭を振って捨て去って、エデンに言われたとおり、吹っ飛ばされたか床に落ちているタグを拾った。
「名前、決まったんですね。」
「不便だしね。早い方がいいだろ?リチル君って呼んでやって。」
にこやかにエデンが言うと、それに押さえつけられたままのキメラが低い唸り声を上げて前足で床を掻いた。
気に入っていないようだが、エデンは聞き入れない。まあ、いつもエデンは名前候補を複数個用意するような人なので、全部却下されたのだろう。(このキメラがエデンの言葉を解していたかどうかはともかく。)
さて、朝ごはんが完成した頃合いだというのに所長をいつまでも跪かせているわけにもいかないので、タグの取り付けにかかることにした。
エデンが押さえつけているのは骨盤の辺りと後頭部。
タグを取り付けるのは首ということになるが、目に入るのは、そのキメラの額の鋭利な角だ。ぶつけるためではなく、突き刺すためにあるような、さして長くはない細身の角。
果たして、これは人間の骨を砕くだけの力を持ちうるだろうかと観察しながらその首に腕を回そうとすると、仔キメラの体が大きく震えた。
否、震えたように見えたのは起き上がろうと働いた力をエデンが押さえつけて殺したその反動故だ。
ギャンギャンとけたたましく吼えながら、それでもリチルと名づけられた仔キメラはもがくように暴れようとする。
エデンが、がっちりと押さえつけたまま困った顔をした。
「リチル君落ち着いて。怖くないよ。大丈夫。」
「これ着けないと、迷子になっても帰ってこれないんだ。
 野良は危ないよ?」
「そうそう。怖い保健所のおじさんに連れてかれるんだから。
 立ち入り検査でもされたらこっぴどく怒られるし。」
「それも言いますか所長。」
「だって逃げさえしなければ、こんなのつけなくても見分けられるでしょ。ありふれた種でもあるまいし。」
どこぞの保育園かという様に宥められても、仔キメラリチルは聞く耳持たない。
(まあどの道、拒絶しきれるわけもない。エデン達のほうがよっぽど有利だ。)
長期戦になるのもいただけないのでさっさとタグをつけてしまって、不機嫌大爆発なリチルを何とかケージに押し戻す。
「やれやれ。肩こったなぁ。
 ・・・そういえば、論文の進み具合は如何?」
「あと2,3日徹夜すれば終わりそうです。」
「出来たら読ませてね。でもまあ、徹夜も程ほどに。」
「・・・心得ます。」
自分もこの人ぐらいエネルギーがあればなあ、とか思いつつ、ようやく二人は朝食にありつけたのだった。




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