彼は知っていた。
臣達がその名前を口にするとき、その中身は誹謗や中傷に集約されることを。
彼は今までそれをことごとく無視してきた。どうでもよかったのだ。発言権が塵屑にも等しい者達の言葉に、耳を傾ける価値はない。
彼には、彼が全て。
いつでもねじ伏せられると、歯牙にもかけなかったたくさんの人たち。
それが、今は、とても・・・・・・
怖い
腕を地に歩くことは大きな抵抗があった。けれどこの身体、二足歩行に適して出来ていないらしく、そうしていないと安定できない。
地面が近い。こんなにも。ざらざらとした触感が、人間でいうところの掌に伝わるたび、なんともいえない気持ちになる。
一体自分がどうなってしまったのか、触って確かめようにもこの手は人間の其れのような繊細さは失ってしまったらしく、大まかな凹凸や質感を感じ取れるだけだった。なにより、一度地に着いてしまった手であまりぺたぺたと体に触れたくはない。
それほど遠くない場所に確か噴水があったはずだが、そこは水しぶきで絶えず波紋を描いているので、水鏡には適さない。
・・・ことに、視界に入るほど近づいてから気がついた。無意識に溜息が漏れた。
悪態もついたつもりだったのだが。
せめて近くに池でもなかっただろうかと、自作の地図を頭に描いて辿るようにあたりを見渡した時、目と視線がぶつかった。
圧倒的な高低差で、2対の瞳がぶつかった。
一拍の無音。(水の音は意識から掻き消えた)
続けて、悲鳴が。
―違う、俺だ!義母さん!―
彼の訴えは獣の咆哮となって中庭に響いた。痛切な其れは威嚇にも似ている。
彼も自覚していることだが、王宮の警備は優秀だ。(当然ながら、国内最大基準である)
すぐに過ちに気付いて逃げ出した彼が、未だ命あることが奇跡なくらいに。
それでも彼の経験と知識とを駆使して何とか王宮と呼ばれる敷地から抜け出た先は、人の往来する城下街だ。傷つき疲れ果てた彼が身を隠す場所は、多くあるようであまりない。
これでもしも、彼が犬か猫のような姿をしていたなら、きっとこのような騒ぎにはならないのだろうが。
本能が教えるままに四足で駆けて、彼は未だ逃げた。
どこか、人のいない場所へ!
逃げる獣を深追いする人間は過半数ではない。しかし、その逆も0ではなかった。
一体自分に何が起こったのかわからない。
目覚める直前に感じたもの、聞いた声。夢なのか、現実なのかもあやふやだ。
それでも、このままでは、本当に消されてしまう。
何も知らない人間に、獣のように!
不可解の渦に呑まれながら、これだけの純正な恐怖に溺れて。
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