ガナッシュが見ている前で、シードルは一枚の世界を構築していく。
混ざりきらないまだらな色が、緻密で繊細な軌跡を描いて。

「・・・。」

「・・・。」




絵筆が擦る、単調なリズム。
退屈を告げる聴覚と、研ぎ澄まされる視覚。
その四角形は、何を目指して姿を変えているんだろう。
そんな空想。けれどそんなこと、わかるはずもない。
それを創るカミサマ以外は。
神ですら、思ったとおりの世界を創造できるとは限らないのだ。



ふぅ、とため息が漏れて、代わりに絵筆が作るリズムが止んだ。

「君がいるとさ。」

穏やかな風にシードルがつぶやいた。
ガナッシュに話しているのだろう。そこにはガナッシュとシードルの二人しかいないから。
でも。
シードルはガナッシュではないどこか遠くを見ている。

「僕の描いたモノと違う絵ができてしまいそうな気がするよ。
 どうしてだろうね。君が僕に何か干渉しているのかな。」

カンバスから完全に離れて、その絵筆は大地を指している。
語りかける相手であるガナッシュではない、何かを見ているシードルはきっと、自分の中にある彩を見ているのだろう、とガナッシュは考えた。
きっとそれは、眼前の其れとは全く異なるものなのだ。意図に反して。

「それは悪かったな。邪魔をしたようだ。」

自虐めいた感情を覚える。
見えない境界線を踏み越えてしまったような、適切な距離を誤ってしまったような、自分を律する戒を破ってしまったような、責を。

ただ、見ていたかっただけなのだが。
固執した感情でもないけれど、目を逸らすのは間違いのような気がして。
きっとそれを興味と呼ぶのだろう。おそらくはそれ自体が間違いだったのだろうが。


「別にかまわないよ。」

描く気がないのかと思えるぐらいに、相変わらず筆を下げたままで返答するシードル。

「それで不愉快な絵に仕上がるわけでもないし。
 そんなことよりも僕にとっては、今日の君の行動の方が興味深いよ。」

ねえ。
と、シードルはやっとガナッシュを見た。

視線が合った。

シードルとガナッシュは同じような目の色をしている。けれど、ガナッシュの方が少しだけ、深い。


「実を言うと、君は僕の事を嫌いだろうと踏んでたのさ。」

まだ過去形にするのは早いかもしれないけどね、
とシードルは笑う。

可笑しな話だ。

ガナッシュはいぶかしむような表情をした。

「そんなことはないさ。俺は誰のことも嫌ってなんかいない」

「そう。じゃあ、好きな人はいる?」

「・・・・。」

にや、とシードルが笑った。きっと面食らった顔を見られてしまったのだ。

「・・・は?」

「答えなくてもいいよ。僕なら答えない。
 ただ君が、好きとか嫌いとかいう積極的な感情を、僕たちに何か抱いてるのか気になっただけだから。
 ・・・うん。さっきの言葉が建前でも、それはそれでいいんだけどね。」

かたかたと音がした。
それは、シードルが筆の柄でカンバスを叩いている音だった。

「・・・・という僕のほうが実は建前でね。実のところただの興味なのさ。
 詳しいことは言わないけど、知っておいたら面白そうだなと思って・・・。
 ごめん、忘れていいよ。」

再び、絵筆があのリズムを作り始めた。
シードルはもう何もしゃべらない。
饒舌な彼でさえ、集中すべきときは黙っているのだろう。というか、そうでない人間にお目にかかったことは、少なくともガナッシュにはない。

シードルが描いているものが抽象画と呼ばれること、ガナッシュにはそうなんだろうとぐらいしかわからないけれど、それでは何を意図してその絵が創られているのか、ということは更にわからない。
既にこの絵は完成されている、と言われればそうなのかと思うし、まだまだ、もっとたくさんの時間が、工程が要ると言われても納得するだろう。

むしろ。

その絵は果たして、完成するのだろうか。
筆を加えるごとに、描き手の意図から離れていくというその絵は。
今もまた、新しい色が重なっていく。

その、筆の端に

鮮やかな暖色の端に、深い、深い色が混じった。

どきり、とする。
何故だろう。その色に、軌跡を描いて一枚の絵に溶けこむ色に
自分を重ねて。


またひとつ、彼の世界に違うモノが混じった。











そんなシードルと別れたのはついさっきのことだった。
実に彼らしい別れ方だった。
わからないでもない。集団心理(もしくは協調性)というモノと縁がないのは、シードルもガナッシュも同じだからだ。
逆に同じなのはそれぐらいで、思想、思考の類は大きく異なっている。でなければ、今別行動を取ることもなかっただろう。


(実を言うと、君は僕の事を嫌いだろうと踏んでたのさ。)

嫌い?
そうかもしれない。
いや、そうじゃない。

あれは単純な醜い羨望で、ただの嫉妬だ。恵まれている彼に対しての。
その程度のものだ。そんなもの。シードルに限ったことじゃない。
誰にだって、抱いている。

好きとか、嫌いとか、そういうものじゃ、ない。
まるで好きみたいに手放さないでいて、嫌いであるかのような距離をとる。
そんな、曖昧な隔たりが、心地いい。
もっと絶対的な、劣等感という隔たりを感じない距離が。
だから、そういうものじゃ、ないのだ。


想像、してみようか。
もしも真っ白なカンバスを与えられたとして、一体どんな絵を描けるだろう。
その世界は、暗く淀んではいないだろうか。
明るい光ある光景を知っている。あるいはそれを描くことも可能かもしれないが、
パレットに広げ、筆に乗せるその色に、混沌を選んだりはしないだろうか。

そして、それを彼が見たら。
ガナッシュが描いた、自分がおおよそ知りえない昏(くら)い世界を見たシードルは
その肥えた目でもって何と評するのか。




「結局、来なかったね。」
振り返って、キャンディが零す。
誰のことを言っているのかは明白だ。
「キャンディは、残らなくても良かったのか?」
ガナッシュにしてみれば、ついてくる方が意外だった。安全な村に残ることよりも。
キャンディは少し傷ついたような表情をして、うん、と細い声でつぶやく。
「ついていく。」
「・・・そう。」
それなら、ガナッシュも止めることはしない。お人よしなのだか、正義感ゆえなのか知らないけれど、あのエニグマの棲む森へ、ついてくるというその勇敢さと優しさは有難く受け取っておこう。
例え無謀な選択だとしても。


この身に何かを与えてくれるのは、光だけではないことを知っている。
光のない深い、深い闇の世界ですら、この手で描ききることはできないだろう。深淵の昏闇(くらやみ)は。
識(し)っていたところで、莫大な時間を費やしたところで、四角く切り取られた近似するだけの世界は、決して完結することはない。


あの時の、あの絵と同じだ。
















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・ひとりごと・

ガナッシュの口調が掴めません。


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