シードルの家は広い。



そしてその家はシードルが生まれる前からあって、ずっとそんな環境で暮らしていたから、幼い頃はそれが普通だと思っていた時期もあった。



「この家って、売りに出したらどれくらいするかなぁ」

「・・・はい?」

アイスティーの注がれている瑠璃色のグラスを両の掌で包み込むようにして、その縁を唇にあてがいながら何故か嬉しそうにシグマが言う。

からからと、その甘い液体に浮かぶ氷が、涼しげな音を立てている。

「そんな心配しなくても、売らないよこの家は」

シードルはその顔にうっすらと不快を浮かべる。シグマはそんなシードルの表情をうかがうようにちらりと見て、だよね、と誤魔化すように笑った。

「シードルってさぁ。」

言いかけて、シグマはくい、とグラスを傾ける。

否応無しに沈黙が生まれ、黙って見守るシードルに、シグマは飲み干して空になったグラスを差し出した。

「おかわり。」

「・・・・・。」

軽く吐息をしてシードルは静かに立ち上がり、そのグラスを受け取ると、ちょっと待ってて、と奥の台所の方へ消えた。



溶けてすっかり小さく、申し訳程度に底に在る氷を流しへ捨てて、新しい大きな氷をグラスに投入する。





「・・・・あれ?」

シードルは素っ頓狂な声を上げた。

取り敢えずグラスをコースターの上にのせて、困ったように辺りを見渡す。

ぐるり、と一通り眺め回してみても、どういうわけかシグマの姿が見当たらない。

(トイレかな?)

シグマの外套は相変わらず放り出されたままでそこに在るので、そう予測をつけてシードルは椅子に座った。

手持ち無沙汰ですることがないので、シグマのために出したお茶請けのお菓子を手に取る。

丁寧に包装を開けて食むと、濃い卵の風味がした。

咀嚼して、味わいながら思い出す。

確かコレは昔知人に貰ったもので、食べてみて美味しかったので度々買うようになったものだ。

この製菓会社はたしか洋菓子ブランドとして名高い。

洋菓子といえば、例えばクラスメイトのジュリアは、洋菓子とは羊羹を指すものだと思っていた時期があったようだ。洋菓子を羊菓子と思ったのか羊羹を洋羹だと思ったのか詳しいことは覚えていないし聞いていなかったのかもしれないが、ともかく、その違いを漢字を習い始めてようやく知ったらしい。

羊羹といえば、初めてシードルがういろうを見たとき。

それが白い羊羹かと思って酷く驚いた記憶がある。食べてみてその違いに気がついたわけだが、ういろうには茶色いものもあるのだからややこしい。



それにしても。



(遅いな。)

手にしたお菓子を食べ終えて、ついでにどうでもいい、くだらない考えに耽っている間に、既に20分近くが経過している。

(迷ってるとか?)

包装紙を指先でいじりながらシードルは長く息を吐く。

(・・・んん・・・・?)

シードルはこてり、と首をかしげ、斜め上45度くらいを見る。

(そういえば、場所知らないよな?)

シードルは場所を教えた記憶がない。

「・・・・・・。」

シードルは静かに立ち上がって、机の上の包装紙を握りこむ。そしてそれをゴミ箱へ捨てると、おもむろに部屋の扉を開けた。









シードルの家は広い。



そしてその家はシードルが生まれる前からあって、なかなかの年代を経ているのだけれども、つくりはしっかりしているし、メンテナンスもこまめに行っているのでそれほど老朽化も進んでいない。

その広さと部屋の多さ。

シードルにも冒険心旺盛な子どもだった時期があって、その時に家中を探検してみたりした。

自分の家なのに知らない場所があったりして、それはなかなか楽しかったが。

一度、それで道に迷ってしまって、基本的には事なかれ主義なシードルはそれきり探検をやめてしまった。

探検を途中放棄して以来、シードルにとっての『自分の家なのに知らない場所』は、今でも『知らない場所』として放置されている。



だから、シグマを探すにあたって、その『未知の空間』に足を踏み入れる段階に至ったとき、シードルはえもいわれぬ『嫌な予感』に見舞われた。

わざわざそんなことをしなくても、放って置けばそのうちひょっこり顔を出すのではないか、とも思ったけれど、なんとなく、相手がシグマでは不安になってしまう。



(僕だって子どもじゃないんだから、まさか迷うなんてことはないよね。)

そうやって強気な気持ちで拳を握り締め、未知なる領域へ続く廊下をぐっと見据える。

(・・・・多分。)







一方、そんな状況にも関わらず呑気な人がここに1人。

「う〜ん・・・・・。

ここはどこなのかな・・・・?」

長くて、そして一本道でない分岐した同じような廊下。

ほぼ等間隔に並ぶ同じような扉。

(ちょっと面白そうだと思って探検してみただけなのに・・・・)

フォローのしようもなく迷っていた。

「シードルー。出てこーい。」

両手をメガホンみたいにして、呼んでみる。

すると。



ガチャ

ドンッ

「うわっ」



ちょうどシグマが立っていたあたりの扉が開いてそれからその扉が思いっきりぶつかってシグマはよろける。

「痛いッ!」

「あ、ごめん・・・・。」

「あっ!シードル!!!」

ジャストタイミング!!とシグマが嬉々とした声を上げた。

「探してたんだよ!!」

「それはこっちのセリフだよ!!なに勝手に歩き回ってるのさ!!」

感動の再会を果たして駆け寄る(といってもほとんど距離はないのだけれど)シグマに対し、シードルは緩慢な動作で呆れたような声を上げる。

シグマはシードルの反応には関心を払わず、とにもかくにも飄々としている。

状況を理解していないように思えるその態度に、シードルは重いため息をついた。

「若気の至りってヤツよ。」

「こんな所で若さを発揮してる場合じゃないんだ!!!」

「・・・・。つかぬ事をお聞きしますが。」

「なに?」

疲労の色濃いシードルに、改まった様子でシグマが言う。

「何でシードル、そんなに焦ってるの?」

「・・・・。」

シグマの問いがどうやら核心を突いてしまったらしい。

シードルは浮かない顔を更にどんよりとさせて、ため息をつくように言う。

「迷ってるんだ」







「ふふ、私って結構勘いいんだよ。

知らない場所でもあんまり迷わなかったりさ。」

「今現在思いっきり迷ってるじゃないか。」

「あーっ!もう!無粋だねシードルは!

私がもし本当にダメダメ人間だったら、シードルとの再会さえ儘ならないんだから!」

「前向きだね。」

嬉しそうに喋り続けるシグマ。シードルはその返答に身が入らない様子で、神経質に通った道筋を何とか覚えようとして周囲を観察することを主としていた。

それでもお構い無しで、シグマは喋り続ける。

「でもさ、ここ、シードルの家だよね?なのに迷うって一体どういうこと?」

「・・・。それを言われると痛いね・・・。

でもそう言う君は、この国の地理全部を知ってる?」

「知らないわよ。なんか話ずれてない?」

「ずれてるけど、単純に言えばそういうことになるんだよ。

君は地理を知らないんだね。ここは君の国なのに?

僕だってそうだ。行ったことのない場所の事なんかわからない。」

「・・・・・。」

「まあ、屁理屈なんだけどね」

やれやれ、と肩をすくめてみせるシードル。屁理屈というよりは言い訳に近いと思いながらも、

ずれてはいるけれども言っていることに間違いはないようなので、シグマは何かツッコむのをやめておいた。

「・・・・それで、どうするの?今こうやって適当に歩き回ってるわけだけど。」

「うん・・・。以前僕が迷ったときは、大人達に一生懸命探してもらったけど、

さすがにこの年になってそんな大騒動にはしたくないなぁ。

それにしても、シグマ?

君はどうして勝手にこんなところまで来たわけ?」

「・・・・。」

言葉を言うよりも、シグマはにこっ、と明らかに繕ったような笑顔を見せる。

わざとらしい。

「黙ってたらわからないよ」

「・・・・。楽しそうだなって思って。」

「・・・・・。」

「・・・・。い、いや、ね?

ほんとはね、シードルに一言言ってからとか、あわよくばシードルも一緒に、とか、

考えてたんだよ?うん。でもね、シードル、嫌って言いそうだったから。」

「よく分かってるじゃないか。」

「やっぱりねッ!!!

まあ、そういうわけだから、強硬手段にでてみました☆」

「・・・・。」

「事後承諾☆」

「・・・・・。」

「怒った?」

「呆れて声も出ないよ。」

「うん、シードルは黙ってた方が可愛いよ。」

「僕男だし。」

「嘘だね。」

「わざとでしょう。」

「うん。」

「・・・。」

シードルはそっぽを向いて仏頂面をする。

シグマは場の空気を一変するような爽快かつ朗らかさ、それから眩しさで笑った。

「知ってる知ってる。確かに第一印象でそう思った事実はあるんだけど。

うん。そればっかりはシードルがいくら抗議しようが仕方ないよね。

事実は事実!!紛れもない事実です!」

「・・・何が気に入らないかというと、君が異様に嬉しそうなことなんだよね。」

「ちゃんと知ってるってば。」

「それは知ってるよ。」

「うわー。ややこしい会話。」

「やっぱり君、嬉しそうなんだよね・・・。

今の状況わかってる?」

「わかってるよ。『シードルとシグマ、仲良くシードル宅を探検中!!』でしょ?」

「・・・・うん、かなり間違ってるね。」

「え?どこが?」

「まず、別にそんなに仲良くもな

「ストップ!!その突っ込みは無し!!ハイ次!!」

ある程度の予測はしていたらしく、シグマはシードルの言葉によどみなくツッコむ。

そしてそれによって強制的に一度口を噤むことになったシードル。

一呼吸おいてから、改めて切り出す。

「・・・・。探検中、なんて生易しいものじゃない。いい?僕たちは、『迷ってる』んだよ。

悲しいことに。」

「それは気の持ちようだと思うけどなぁ・・・。」

「・・・。あと、細かいことを言うとここは別に僕の家じゃないよ。

正確にはパパの家だ。」

「それは別にどうでもいいじゃん。

私はシードルに用事があって来たんだから、シードルの家だと思っていいんじゃない?」

「・・・まあ、そうだけどね・・・。

取り敢えず、僕らはコトが大きくなる前に、現在位置をきちんと把握しないといけないんだよ。」

「ふう〜ん。」

「・・・・。呑気だね・・・。」

「だって、楽しいんだもの」

「・・・・・楽しい・・・?」

「そう。だってさ、こうやってるとなんか、さぁ。

シードルと友達になったみたいでしょ?」

「・・・・・。」

「友達と、探検してるみたいだよ」

「・・・・友達・・・?」

「・・・・なに?何かまずいことでも?」

こちらをうかがい見るシグマ。シードルはゆるくかぶりを振った。

「・・・・・。ううん・・。ちょっと、意外な言葉だなって思っただけ。」

「?どういうこと?」

「予想してなかったよ。」

「うーん・・・。それは。どういうことかな?」



歩きながら。

扉を開けたり、閉めたりを幾度となく繰り返しながら。

二人はそんな風に話をしていた。シードルはともかく、シグマは妙に楽しそうだ。

デジャヴのようなジャメヴのような奥の空間は、シードルは例外でもちゃんと使用されているらしく、手入れが行き届いていて他人の家のような錯覚を覚えた。

真新しい壁紙の上を飾る様々な絵画に、シードルはやがて規則性を発見した。

「粋なことを、するなぁ。」

絵画のひとつを見上げて一人呟き、にや、と笑うシードル。

「な、なに?」

心持ち引きながら、シグマも恐る恐るその絵を覗き込んでみるものの、シードルが何を言いたいのかは全くわからない。

「こっちだよ。多分ね。」

「え?わかるの?」

「多分ね。多分だよ。僕とパパの感性が同じなら・・・・。こっちだと思う。」

「・・・。」

多分、多分と連発しながら、シードルから焦りが消え、余裕な雰囲気が出てきたのでシグマはおとなしく歩き出したシードルについて行く。



「つまり・・・。道標、なんだよね。いつからこうなのかは,知らないけど。

繋がってるんだよ。一つ一つの絵が順番に並んでる。

だから、僕の知っている範囲の絵と、今いる場所の絵が繋がるように行けばいいんだ。

ただ、その絵を並べたのはパパだから、その気持ちになって考えないと意味ないけどね。」

「・・・大丈夫なの?

いくら親子だからって、違う人間だよ?」

壁にかけられた絵をさらりと眺めながらシードルは歩いている。

その後ろで、シグマがようやく不安そうに呟いた。

少し、歩く速度を落として、シードルはシグマを振り返り、それから妙に楽しそうに笑う。

「ふうん? 君は友達を信じないんだ?」











辿り着いた時、アイスティーの氷はすっかり溶けて、ガラスと琥珀の二つの色が、

層になってグラスに浮かんでいた。

それを口にしてシグマは、「薄いね」と言って笑う。

入れなおそうか、と言おうとしたときにはシグマは既にそれを飲み干してしまっていて、

シードルは結局、それから何も言わなかった。



















戻る



・独り言・

何か物足りない感じなので、いつか書き直すかもしれないし書き直さないかもしれない。
仕上げるのにかなり時間がかかったので、場面によってテンションが違います(笑)
それから、自分で書いたくせになんですが、ツッコんでもいいですか。

どんだけ家広いんだ。


広告 [PR]ヒートテック  転職支援 わけあり商品 無料 チャットレディ ブログ blog