誰もいない砂浜に、波の音は繰り返す。 遥か後方、わずかな物音に期待し振り返れば、 何の変哲もないただの風音。 東の空に浮かぶ満月。 見慣れたはずのそれは、果たしてあんなにも大きなモノだっただろうか。 雲ひとつない空。 白い、強い月の光。 明々と光る光。 残酷にも思えるその光は、無数に浮かぶ小さく儚い星の光を、 ことごとく色褪せたものへと変えていく。 遮るものがなくて、広い空間で、晒された皮膚を刺すような光を全身に浴びる。 日の光すら、こんなに残酷なものではない。 何か言葉を紡ごうとして、諦めたのは惰性ではなく、また悲観でもない。 呼んでも応えのないことはわかっていた。 そして、それでも足掻こうという気にもならなかった。 しばらく立ち止まって、呆然と魅入られたようにこの荒涼とした風景を、 ついさっきまで、声と笑顔と、期待にも似た弾むような想いが、確かに存在していたはずのこの場所に、この場所を包む空気に囚われることが、何故か、 今自分に取り得る最良の行動であるかのように思われ、 そしてそこで待っている。 誰かが、自分の名前を呼ぶのを。 呼ぶ声がして、振り返って、刹那、囚われていた寂寥感が、全くもって何の意味もなく、 ただの空想であり、妄想に過ぎなかったと、安堵する瞬間を。 だが恐らく、ただずっとこうしている間は決して、そんな瞬間は訪れないだろう。 その決断をするのに、実に膨大な時間を費やした。 ようやく、向きを変え、一歩を踏み出したときには、月は少し高く上っていたし、 棒立ちだった両足は痺れてわずかに痛かった。 凪の刻は終わり、陸風がそっと頬を撫でる。 哀しみに囚われ、天を仰いで吠えたとしても、その声はこの澄んだ空気で拡散し、 誰の許へも届かないのだろう。 ここが、あの人の消えた場所 呟きながら踏みしめる砂浜。その痕跡を辿る。 落とした視線を少し上げれば、また別の、次の『その場所』が瞳に映る。 生きてはいるはずだ。 最後のその人が消える直前に、交わされた言葉を反芻する。 ただ手の届かない場所で、彷徨っているのだろう。 自分ひとりを置き去りにしたまま。 置いて行くなんて酷いじゃないか。 空虚な心で寂しく呟く。 帰る場所もなく、行く場所もないのではどうしようもない。 迷い、彷徨って、かつて・・・・といってもそれほど時は経っていないが、 遊び半分で足を踏み入れた陰湿な洞穴へたどり着く。 亡霊のような、精霊のような老人を見たあの洞窟へ。 今は亡き者達が抱いた邪で残虐な思念が残留し、空間を捻じ曲げるほどの禍々しさを帯びた忘却の洞穴は、 彷徨える亡者を喰らわんとするが如く、その暗い顎を開いている。 日暮れ前、見たときには感じなかった不気味さに足がすくむ。 その内部へと吹き、止まぬ風はその化け物の吸気のようだった。 恐ろしさを感じた。 その土を踏めば、もう後戻りのきかない、何か不吉な予感もした。 それでも足を踏み入れたのは、その陰りの中に、求めて止まない懐かしい存在(モノ)があったから・・・・・。 みんなを攫った化け物が、此処から現れるのを見ていた 怯えるような幼子の、指す方向には確かに空間に開いた黒い穴。 それならば、あれだけのたくさんの笑顔は、みんなこの先へ消えたのだろうか。 共に行こう。 差し出した手を突っぱねられ、それでもいいさと苦笑(わら)って、禍々しい漆黒の渦を見下ろす。踏み出すには勇気が必要だ。 深く息を吸う。とくんと、大きく鼓動が打つのを感じた。 最後にもう一度、窺うような小さな瞳を振り返り、不安で青ざめた顔で、硬く強張った笑みを作って、行ってくる、とかすれた声で言う。 むしろ、自分に言い聞かせている。 後戻りはしない。絶対にしない。 早くみんなに会いたいから、頭の中でガンガンと響く警鐘を聞こえない振りして、黒い渦に足を踏み入れる。 体重が消えたような妙な浮遊感。暗い洞窟内部の風景が、高速でブレ始める直前(まえ)に、幾分落ち着きを取り戻した声で叫ぶ。 どうか、無事で 残された仲間か、奪われた仲間たちへか、どちらに願ったことかはわからない。 両方かもしれないが、これから未知なる場所へ旅立つ、自分自身への餞の言葉は、どうやら含んでいないようだった。 身を呈しても、とは言わない。 ただ、前触れも別れの言葉もなく、消えた仲間(とも)に逢いたいと。 その無事を知り、安堵に胸をなでおろす瞬間を求めるが故に、 己の起こした行動の無謀さに、配慮をする余地がなかった。 それ以上でも、それ以下でもない。 後にそれを後悔する日は来ない。 ただ思慮の浅さと、愛しいくらいの純粋さに苦笑するだけだ。 戻る |
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