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最近、僕の家にはしょっちゅ
う泥棒が入ってくる。いささか怪しい部分もあるけど、本人が自称しているのだから多分
間違いはない。 一体どこから入ってくるのかはわからない。どこか僕の知らない侵入
ルートでもあるのかもしれないし、あるいは正々堂々と、掛けたはずの鍵を開錠している
のかもしれない。少なくともそういうスキルは持っているんだろう。 …困ったこと
だ。 けれど奇妙なことに、その泥棒はいつも何も盗らないで帰っていく。厳密には、
冷蔵庫の中身が少し変わっていたり、使用済みの食器なんかが放置されていたりもするけ
れど。 時には置土産を残すこともあったりする、なんだかヘンな泥棒だ。 とはい
え、我が家のセキュリティが疑われると困るし、(あってないような)被害
が現在進行形、という緊張感のもと、この愉快な話題は大っぴらに人様に提供できるもの
じゃない。
でも今日は特別だ。
++『I&S』++
そうい
うわけで、この話をシグマという女の子にしてみたところ、彼女は口をぽかん、と開け
て、瞬きもなおざりになんだか笑える表情をしていた。 ところでΣ(シグマ)とは古代
のギリシャの文字で、アルファベットのSに相当する。数学で、あるいは記号や文字で文
章を用いずに感情を表現する芸術、「顔文字Σ(゜Д゜;)」でお馴染みだ。 記号的で
象徴的なそれは実のところ彼女のコードネームかなにかで、本名ではないんじゃないかと
いうのが僕の最近の勝手な見解だけど、真相は本人の知るところ。実際は聞いてみないと
わからない。 「ねぇ。」 その彼女が言う。 「珍しく誘ってくれたと思った
ら、なんでその話題なの!?」 シグマはもともと反応が少し大袈裟な傾向があるのだ
けど、それを差し引いても彼女はかなり不満げだ。どうやら僕の『特別』はお気に召さな
かったようで、
それは想定の範囲内なんだけれど、欲を言えばもうちょっと面白い反応が欲しかった。
「?何かマズいことでも?」 とはいえ、そんなことを一々彼女に要求するのは酷
な話で、それでも僕はわざとそんな気の利かない返事をする。 でも確かに、彼女の言
うとおり、こういったシチュエーション…二人で喫茶店、という一見デートのようなそれ
は珍しい。 しかも僕発信。 どうにも彼女の押しの強さ、アクの強さに受け身がち
になってしまう僕が、だ。(これに関しては、受け身、というより受け流している、と
言ったほうが正しいと彼女はツッコみそうだけど、僕に異論はない。) ちなみに僕達
は喫茶店の中でも奥の方、ショーウインドウから外が見えるわけでもない、たいした面白
味もなく閉鎖的でだからこそ容易く「二人の世界」に浸れる空間に座っている。 そんな場
所で、僕達がしているのは甘くもなんともない、むしろ空寒いような何やらミョウな話。
一体何をしているんだろう…、なんて我に返っても、ココは動じるポイントじゃあない。
逆境は敢えて満喫してみよう。 「マズいっていうか、もっと他にあ
るでしょう?積もる話とか!」 …で、何の話をしていたんだっけ…。 … そう
そう。わざわざ誘ってまで泥棒の話をするな、ってことだった。 というか、この話題
の為に呼び出した、なんて言ったら彼女は怒るだろうか。 むしろヘコみそうだ。見て
いるこっちも切なくなるような顔で。 それは困る。 「僕としては積もりに積もっ
た、秘蔵の話題のつもりなんだけどね。」 「…。」 シグマの顔には
嘘だ!
…と書
いてあるけれど… …僕は嘘はついてない。念のため。 シグマは不信の目付きで僕
の挙動を伺っている。それでもやっぱり、気になるんじゃないだろうか。泥棒の話。
「そこで、君にちょっと意見を聞こうと思って。」 「…意見?」 こんな風に、な
んだかんだ言って、彼女は僕が何か話題を提供すると嬉しそうにするから(珍しいから
だろうか?)、今日もちゃんと話を聞く姿勢で、相づちを打って続きを促してくれる。
そんなだから僕が調子に乗るんだというのに。 「ちょっと罠でも仕掛けてみよう
と思うんだ。」 「…へ?罠?」 「そう。ほら、侵入経路も知りたいし」 何か
いい案ないかなぁ?と彼女を伺い見ると、困ったような顔で首をひねっていた。俯くよう
にしていたから、細かい表情は見えないけど、かなり困っている。 「め、迷惑な
の?」 「ん?別に追い出そうとか捕まえて引っ立ててやろうとかじゃないからさ。 た
だ、やられっぱなしっていうのもシャクだし。 だから、」 とっておきみたいに、声を
弾ませて、からかうような色を混ぜて、悪戯に笑って。 僕は言う。 「あんまり危
険なのは、だめだよ?」 「当たり前じゃない!」 僕は更に笑う。 彼女の斬り
込みは鋭く、でも蒼白なカオ。 「…だよね。」 …ああ、楽しいなあ。 「…本
当に
、仕掛けるの?」 「うん。」 シグマはガラにもなく考え込んでいるようすで、お
かげで彼女のプリン・ア・ラモードが半分くらい手付かずになっている。 僕の所為な
のだから、そっとしておくのが吉だろう。 「一人で結構考えてみたんだけどね。トリ
モチ作戦とか」 「…トリモチ?」 「そ。トリモチ。」 トリモチ。 要する
にねば〜っとして動きを止めるアレ。対象が通りそうな場所にあらかじめ仕掛けておい
て、絡めとって自由を奪う。 蝿取り紙やゴキ●リホイホイなんかがまさしくソレだ。(ネズミなんかも捕れるそうだ。豆知識。)
ただし今回の場合、相手が人間サマなだけに捕縛性も致死性も薄い。(というか余程
ヘタなくっつきかたをしない限り気合いで抜けられるはずだ。むしろそれができないよう
なご大層なものを自分の生活スペースに置いておきたくない。) ただ、それに引っ掛
かった人間の精神的ダメージは相当なものだと思われる。 僕は引っ掛かった事ないけ
れど考えただけでゾッとす
る。 「イヤだよそんなの!!」 僕の思考にシンクロするカタチでシグマは叫ん
で、本当に嫌そうな顔で頭を抱える仕草をした。 「僕だってイヤだよ。人間が掛かる
ようなトリモチのそばで生活するの。だからシグマに聞いてるんだよ?」 うっかり僕
とかパパだとか、関係のない善良な客人とかがかかったりなんかしたらシャレにならな
い。 それはもう、精神的ダメージが。 「…なら仕掛けなきゃいいのに…」 こ
れまた僕の思考とシンクロするカタチでぽつり、とこぼされた一見いかにも利に適った
まっとうなシグマの意見は、しかし即座に却下された。 主に(僕の)利己的な事情で。
「…じゃあ…、そのヒトが欲しがりそうなものを置いといて、とったらザルがかぱーっと
…」 … なんてベタな! 軽いジェスチャーを交えながら、若干申し訳なさそう
にシグマが言う。あまりの申し訳のなさに言葉を最後まで紡ぐこともできなかったよう
だ。 「…。」 「…
。」 …ねずみやスズメじゃないんだから…。 そういって僕が彼女にツッコみ、互
いに笑い合ったりすれば、ジョークで話は綺麗に終わるんだけど。 そうはうまくいか
ないのが人生ってヤツで。 「相手が欲しがりそうな物って、例えば?」 悪ノリを
する僕。 「…うーんと…。お金とか?」 …泥棒だからね。相手。間違っちゃいな
い。 「お金というと、どのくらい?」 もっとノッてみるとシグマは更に困った顔
をした。 これは興味深い。 僕は彼女の金銭感覚をよく知らないけれど、幾らなら怪しさ大
爆発のオトシモノに飛び付くだろう…? 「…い、一万円…?」 「…。」
円単
位かよ。
というツッコミはこの際無視してほしい。こっちにも都合というものがある。
しかし、なるほど。逆にリアルだ。 いや、もちろん「かぱーっ」と標的を捕える
らしいザルの存在がなければの話だ。 あまり金額が多すぎるとヒトは警戒する。むし
ろ
どれだけありえそうな金額だったところでザルがある時点でアウトだ。 万が一、引っ
掛かる人間がいたとしたら…。…いや、いないことを祈ろう。 というかそんな大きな
ザルは家にない。 それから、これは比較的どうでもいいことだけど、罠といえばトリ
モチだとかザルだとか…魔法使いのする会話じゃないと思う…。 「でもさ、わからな
いんだよね。」 僕はお行儀悪くミルクレープをフォークで突いていて、不意にその先
端が縁を滑って陶磁器のお皿にぶつかった。その音にか、僕の言葉にか、シグマは俯けた
顔を上げて僕を見る。 「どうしてその泥棒はわざわざ僕の家に侵入するんだろう?」
僕のつぶやきに、シグマは複雑な顔して僕の表情を伺うように見ている。 ならば
聞きたい。 僕は今どんなカオをしている? 「だってさ。」 ざくり、と三又の
フォークが、生地とクリームがつくる幾重の層に突き刺さる。本当は音なんてほとんどな
いのだけど、何か物足りないから脳
内補完してみた。 さながら一人劇場だ。 わびしい。 「呼び鈴を鳴らせばいい
だけの、話でしょう?」 ここで、僕はついに我慢ができなくなってしまって、にや、
と笑ってシグマを見上げる。笑う予定はなかったんだけど、僕は思いの外駆け引きに向い
ていない。 そうやって、視線が合ったとき、シグマは固まってしまう。スプーンは宙
にとまったまま。 「…。」
あぁ、もう、憎たらしい!!
と、そのあとの彼女
の表情にアフレコするならこんな感じだ。
「好きだからでしょ。」 唐突だった。 不意に、少し
考え事をしている間に、シグマはそう吐き捨ててそっぽを向いてしまう。 …心なしか
顔が赤い。 「それはまあ、飛び抜けた答えだね…?」 からかうこともできずに、
僕は立往生してしまった。 好き? 何が? 不法侵入すること?(あるいは冷蔵
庫の中身を失敬すること?) それとも僕の家が? 都合のいい勝手
な解釈ならいくらだってできる。 だからそんな風に投げやりな言葉を放っておいて、
後は任せた! なんてやめて欲しいんだけど、わかってるんだろうか、このコ?
(それとも僕は、ヒトのことを言えないんだろうか。)
来ないでほしい、なんて言ったことはない。言えばきっと本当にもう来ないだろう。
来てほしい、と言ったこともない。言わなくていい。僕はこれ以上を望んでいるわけでは
ないから。 逆はどうだろう。 彼女はまた来る、と言うこともあるし、言わないこ
ともある。 言っても言わなくても結局、変わりはない。またいつか現われるのだろ
う、という予感は。 否定しないのは肯定と同じ、なんて僕も彼女も曖昧なお互いに甘
えている。理由も都合も自分に好い解釈をして。 そういう部分で、僕達は両想いなの
かもしれない。
…否。 安っぽい言葉だ。ベタベタに汚れた使い古された言葉だ。
『両想い』? そんな生易しいものだろうか。
後日、僕は自宅のテーブルの上に申し訳なさそうに鎮座している箱の存在に気が付いた。
見慣れた10円チョコのパッケージそのままのデザインのそれにはメモが添えてあっ
て、それ曰く
『 この前はありがとう。 これは、今までとこれからのモロモロ
の迷惑料です。 これからもよろしく! 』
と、それから右下の方に記号のよう
なラクガキのようなモノが。 それを『Σ』と読むことに気付くまで10秒少々を消費し
てしまった。 箱の中身は予想どおり、箱と同じで縮小コピーのようなパッケージがず
らり、とぎしり、と並んでいる。 …これがいわゆる箱買いというやつだ! 僕も一
度やってみたい。 …さて、これが残されているということは、また侵入されてしまっ
たようだ。 僕に会っていかないところが珍しいけれど。
僕らの間に約束はない。シグマは嬉々として、いつ、どうやって僕の家に侵入して僕を驚か
せようか画策し、僕はそんな彼女をのんびりと楽しみに待つ。
いつからか、気がつけばそうなっていた。
僕とシグマはそんな関係だ。
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